裁判闘争の簡単な経過

第一次訴訟

厚木爆同は1976(昭和51)年5月、第16回代議員総会で「基地の永久使用に歯止めをかけ、騒音被害の解消を目指して、騒音訴訟を闘う」ことを決定し裁判闘争に踏み切った。

3ヵ月後の9月8日に横浜地裁に第一次訴訟を行った。

請求の趣旨は、

Ⅰ.被告・国は自ら、またはアメリカ合衆国軍隊をして原告らのために(1)厚木海軍飛行場において、毎日午後8時から翌日午前8時までの間、一切の飛行機を離着陸させてはならず、かつ一切の航空機のエンジンを作動させてはならない。(2)同飛行場の使用により、毎日午前8時から午後8時までの間、原告らの居住地に65ホーン以上の航空機騒音を到達させてはならない。

Ⅱ.被告・国は原告らに対し、総額2億7800万円並びにこれに対する本訴状送達の翌日から支払い済みまで、年5分の割合による金員を支払え。

Ⅲ.被告・国は原告らに対し、1976(昭和51)年9月以降、(1)毎日午後8時から翌日午前8時までの間、一切の航空機騒音、ならびにエンジン作動の騒音がなくなるまで。(2)その余の時間帯において、原告らの居住地に65ホーンを超える一切の航空機騒音で到達しなくなるまで、毎月2万3000円の割合による金員を当該月の末日ごとに支払え。

Ⅳ.訴訟費用は被告・国の負担とする。

との判決および仮執行の宣言を求めるものだった。

原告が差し止め請求の根拠としているものは、公害対策基本法に基づく1971(昭和46)年5月25日の閣議決定、神奈川県条例等の規制基準に照らし(1)夜8時から翌朝8時までの間の飛行活動全面禁止、(2)昼間の65ホーン以上の飛行騒音の規制であり、このことは人間の生きる権利として、健康にして快適な生活を維持するための必須条件である。

これに対し国は「厚木基地の存在そして使用はきわめて高度な政治的部門の判断に委ねるべきで司法審査の対象から外すべきである。厚木基地は従来から一貫して軍事基地の機能が継続されてきており、その社会的環境からして十分周知されていること、住民が後から居住してきて基地の使用差止を求めることは言語道断」との反論を繰り返してきた。

第一次訴訟は訴訟開始から4年9ヶ月の歳月を経て1981(昭和56)年6月17日に結審を迎えた。判決は1982(昭和57)年10月20日、横浜地裁で行われ、「飛行差し止め請求について却下する。被害については過去分の損害賠償について認める」というものだった。

この判決について厚木爆同は飛行差し止めが認められなかったことに強い怒りを持ち、控訴を決定した。しかし1986(昭和61)年4月9日に開かれた東京高裁の判決は全面敗訴だった。飛行差止めどころか損害賠償請求まで却下された。このため厚木爆同は最高裁への控訴を決定、4月22日に上告した。

最高裁の判決は7年後の1993(平成5)年2月に言い渡しがされた。その内容は「差止め請求は却下、損害賠償は東京高裁へ差戻し」と言うものだった。

東京高裁では1995(平成7)年12月26日に差し戻し判決が行われ、損害賠償は認める内容だったが、差止めに対する意見はなかった。

裁判所は「うるささ指数(W値:WECPNL)」実質80W値以上の原告に損害賠償を命じた。うるささ指数により損害賠償額は違います。WECPNLとはWeighted Equivalent Continuous Perceived Noise Level(加重等価継続感覚騒音レベル)の略です。

 

第二次訴訟

1984.09.26      第二次訴訟原告団結成集会 原告161名 団長 笠間繁雄
1984.10.22      横浜地裁へ提訴

第一次訴訟の最中に第二次訴訟が行われていた。新たに161名の原告が1984(昭和59)年10月22日に一次訴訟と同様の内容で提訴し、1992(平成4)年12月21日に判決を迎えた。

しかしこれも騒音被害による損害賠償は認めるものの、将来の騒音被害は認めないし、飛行差し止め請求は却下された。

これも東京高裁へ控訴することを決定し、1999(平成11)年7月23日に判決が言い渡された。判決まで14年9ヶ月かかっている。しかし判決は同じく損害賠償は認めるものの、飛行差し止めは却下された。

 

第三次訴訟

第三次訴訟は1997(平成9)年12月8日に2,823名で提訴が行われた。その後も追加提訴が行われ、最終的に5,047名の大規模訴訟団として第三次訴訟が闘われることになった。

第三次訴訟では請求は爆音補償一本に絞り、飛行差止め請求を今回はおこなわなかった。

1997(平成9)年12月8日に提訴した1審、横浜地方裁判所では、35回の公判を重ね、2002(平成14)年1月23日の第36回公判でようやく結審となった。

この第三次訴訟も8年7ヶ月かかった。1997年の横浜地裁への提訴後、2002(平成14)年10月16日に地裁判決が出された。この判決では基地騒音の賠償額としては全国で過去最高となる27億4600万円を支払うよう国に命じた他、「被害の発生を回避する努力をしていない」と国の無策を指摘した。これに対し国は判決を不服として東京高裁へ控訴を行った。

判決は2006(平成18)年7月13日に東京高裁で言い渡され、従来どおりの爆音被害賠償が確定された。この高裁判決に対し国側は控訴せず、判決は確定した。

 

第四次訴訟

第三次訴訟の判決で「厚木基地の爆音は違法状態にあり、国が厚木基地の被害解消に向けて本腰をあげて真摯な対応を取っているようにはうかがえない」との判決が示されたが、一向に爆音はなくならなかった。こうした状況の中で「第四次訴訟を起こそう! 黙っていれば爆音を認めたことになる」と10月に実行委員会を結成した。実行委員会は新たに爆音被害地域になった藤沢、町田市を含め35名の実行委員で構成、2007(平成19)年9月1日、330名の原告を集めて決起集会を兼ねた結団式が行われた。

第四次訴訟では「損害賠償請求」の他、「飛行差止め請求」を再び行っている。それも民事訴訟と行政訴訟の二本立てで行うことを決定した。民事訴訟では原告全員で損害賠償請求と、一部原告が代表しての差止め請求を、行政訴訟では一部原告が代表して差止め請求を行った。

なぜ民事と行政の両方の差止め請求をするのかと言うと、これまでの空港訴訟で、民事差止め請求を適法とする地裁・高裁判決もあったが、最高裁は「如何なる行政訴訟が可能かはともかく」として、民事訴訟は不適法と判断したが、行政訴訟の可能性は示唆した。原告団は、民事も、行政もだめだと言う判断を許さない方法として「裁判を受ける権利」を明確にする方針を選んだ。

第四次の原告は7,054名の大原告団となった。2007(平成19)年12月17日、横浜地裁に提訴が行われた。

 

横浜地裁判決

2014年5月21日(水)午後2時、第四次訴訟横浜地裁判決が下された。民事訴訟については、損害賠償は認めるも飛行差し止めは棄却、しかし行政訴訟について米軍機に対しては却下されたものの、自衛隊機については夜間の飛行制限が認められた。

これに対し、国は損害賠償、飛行差し止めに対しても5月27日に東京高裁へ控訴した。原告団は当初損害賠償は控訴しない方針だったが、国が控訴したため、損害賠償請求も含め、飛行差し止めについても東京高裁へ6月3日に控訴した。

 

東京高裁判決

2015年7月30日(木)に東京高裁での第四次厚木爆音訴訟裁判が10時より開廷され、判決が下された。判決内容は①民事訴訟での損害賠償を認める。2016年末までの将来請求も認める。外国人原告の損害賠償も認める。②民事訴訟での飛行差し止めは米軍・自衛隊とも認めない。③行政訴訟での自衛隊機の夜間飛行の差し止めは2016年末まで認める。行政訴訟での米軍機の差し止めは認めない、というものであった。

将来請求が期限付きではあるものの認められたということで、横浜地裁判決よりも一歩前進した判決が下された。期限は厚木基地の艦載機が2017年までに岩国基地へ移転することが政府間で決定されていることが大きく影響している。この判決に対して原告団は損害賠償部分については国が最高裁へ控訴しない限り原告側としても上告しない、しかし米軍機の差し止めがまたも認められなかったことは評価できず、最高裁へ上告することを決定し、8月11日におこなった。国も自衛隊機の飛行差し止めが下されたことを不服として最高裁へ8月12日に上告した。

 

最高裁口頭弁論開かれる

 最高裁は2016年9月15日に口頭弁論を開くことを発表した。期日は10月31日(月)。

最高裁で口頭弁論を開くことは通常なく、開く場合は判例の変更がある場合といわれている。今回の弁論は、自衛隊機の夜間飛行の差し止めと将来請求についてであり、国側の請求課題である。訴訟団側の米軍機の飛行差し止めについては弁論を開かないとされ、東京高裁での差し止め却下が確認されたことになり、最高裁での米軍機の飛行差し止めはかなわなかった結果となった。

 

2016.12.08 最高裁不当判決

第四次訴訟の最高裁判決が12月8日(木) 15時に小法廷で下された。結果は我々の望みを打ち砕く不当なものであった。自衛隊の夜間飛行の差し止めは公共性を理由に却下。将来請求は過去の最高裁判例を踏襲してこれも却下というものであった。共に東京高裁では認められていたもので、横浜地裁、東京高裁とも裁判官が現地進行協議で厚木基地の爆音を体験したうえで判断を下した差し止め、将来請求を、最高裁は国の主張の文字面だけで覆してしまった。

原告・弁護団・支援者など100人以上が午後1時過ぎには最高裁判所前に集まり、開廷に備えた。小法廷での裁判は午後3時から始まり、5人の裁判官が並ぶ中、裁判長が主文を朗読し、少し説明を加えた。5人全員一致の判決で、高裁差し戻しもなく、第四次訴訟はこの時点で終結した。

報告集会は最高裁近くの「TKP永田町ビル」の4階会議室で行われ、満席の中、四次訴訟団や弁護士、全国訴訟団から報告と感想が述べられた。残念な結果ではあるが、我々は負けたわけではない、高裁では自衛隊の飛行差し止めを勝ち取っており、次の闘いへとつなげようとの決意が述べられた。健康被害は実証できるのかというマスコミの問いに、北海道大学の松井教授は、「世界の空港騒音の科学的検証で、身体的障害は発生していることが実証されているし、死者も出ている。世界では常識となっている健康被害が日本では報道されていないのはマスコミの責任でもある」と強い言葉で述べた。

この後訴訟団・弁護団の声明と厚木爆同・訴訟団からの第5次訴訟への決意文が配布され、報告集会を終えた。