厚木基地爆音訴訟とは
厚木基地爆音訴訟とは、厚木基地を離発着、または通過、訓練飛行をする全ての航空機及び整備に伴う騒音に対し、その騒音は受忍限度を超え違法であるとし、航空機の飛行制限、騒音の到達禁止を求め、被害住民の救済と、損害補償を法的に求めて行われている裁判です。
現在、厚木基地を使用している航空機は、主として米海軍の軍用機と、海上自衛隊の軍用機ですが、その基地建設は旧日本海軍が1938年に着工し、1942年に完成したものです。
建設当時は旧日本海軍のものでしたが1945年、日本軍の敗北により厚木基地は連合軍に接収され、1971年以降は米海軍と海上自衛隊との共同使用基地となっています。
厚木基地では1955年頃から米軍がジェット機の配備を始めるようになり、それに伴い滑走路の改修工事が行われ、1960年にはジェット機の大型化に対応できるようになりました。
しかしこの厚木基地で行われる飛行訓練は、飛行制限も時間制限もないもので、その騒音は周辺住民にとって生命の危険さえ考えられるほど過酷なものでした。
このため周辺住民は厚木基地爆音防止期成同盟を結成し、行政に対し騒音の軽減を求めて陳情を繰り返しますが、らちが明かず、ついに1976年9月8日に第一次訴訟を横浜地裁に提訴しました。
以降、1984年10月22日に第二次訴訟、1997年12月8日に第三次訴訟、2007年12月17日に第四次訴訟と、四度の裁判が提訴され、いずれも騒音は受忍限度を超え、違法だとする判決が下されています。しかし違法であるにもかかわらず、損害賠償は行われるものの、騒音は減らず、飛行制限も守られていないのが現状です。
1973年に米海軍は空母ミッドウェイの母港を横須賀港とし、空母艦載機は厚木基地で訓練をするようになりました。空母はミッドウェイからインディペンデンス、キティーホーク、ジョージワシントンと交替し、現在では原子力空母ロナルド・レーガンが横須賀港を母港としています。
艦載機もF/A18ホーネットがスーパーホーネットと代替えし、EA6BプラウラーもEA18Gグラウラーとパワーアップされた機体となり、騒音量も増大しています。空母が滞在中、周辺住民は艦載機の訓練爆音にさらされ続けられています。空母が滞在していなくとも、自衛隊の飛行訓練は毎日行われており、P-1ジェット哨戒機やSH60などのヘリコプターなどの騒音も多大なものです。
騒音は環境基本法において公害の一つとされています。航空機騒音についてはその特徴として、①その音がきわめて大きい②ジェット機などでは金属性の高い周波数成分を含む③間欠的、場合によっては衝撃的④上空で発生するため被害面積が大きい、などがあげられます。
しかしこれは一般的な民間航空機に当てはめたものであって、軍用機に対しては過小な評価と言えます。特に厚木基地においてはジェット戦闘機が滑走路を飛行甲板とみなしてタッチアンドゴー訓練をひっきりなしに行い、また、近年は夜間離発着訓練を硫黄島で行うようになったものの、夜間の離発着は通常訓練でも行われています。事態は改善されていません。
そこで、第五次訴訟においては、厚木基地に由来する爆音の広範かつ深刻な被害の実態を改めて訴えるとともに、爆音の差し止め、ないし到達禁止を民事訴訟の中でも行政訴訟の中でも請求することとしました。
よって第五次訴訟では国に対し厚木基地における毎日午後8時から翌日午前8時までの間の一切の航空機の離発着及び一切の航空機のエンジンの作動の禁止、並びにその余の時間帯における原告らの居住地への防衛庁方式のW値75を超える一切の航空機騒音の到達の禁止、及び騒音の差し止め請求が実現されるまでの間、厚木飛行場の使用について、米国との間でその請求の実現のための協議を行うことを請求することとしました。