第三次訴訟団の紹介


経 過 と 流 れ

 「厚木基地の爆音をなくし静かな空を取り戻そう」とズブの素人92名が原告となり横浜地方裁判所に訴えたのは、1976(昭和51)年9月でした。これが第一次厚木爆音訴訟です。1995(平成7)年12月26日最高裁において被害を認め、総額1億600万の損害賠償は支払われたものの飛行差し止めについては却下されました。こうして19年におよぶ裁判が終わりました。 この間1984(昭和59)年10月22日今度は周辺各市から原告を募り161名で第二次厚木爆音訴訟を起こし、現在も東京高裁で闘い続けています。→1999(平成11)年7月23日、判決が出され集結しました。詳細へ


発足の次第とねらい

 一次二次の裁判で違法性は認められながらその後も厚木基地における訓練爆音は少しも減ることは無く、住民の生活を脅かしています。裁判所が認めた厚木基地の被害地域に居住する住民は、150万人といわれています。国は本来すべての被害住民に支払うべき損害金を原告でない多くの被害住民には支払わず、また飛行差し止めにも応じず、NLP(夜間飛行離発着訓練)など増々被害は激甚しています。 そこで今度は、一部の住民では威力が無いので、より広範な住民を集めて裁判を起こし、国に対し多数の住民が騒音被害に苦しめられ、その損害は膨大なものであることを明確に示すことが必要と思ったのです。 

そして将来的には「飛行差し止め・基地撤去」を実現したいと願っているのです。

原 告 数 と 分 布
第三次訴訟団      総原告数    5029名  
未成年者数    922名
総世帯数  1636世帯
原告居住地 分布数  大和市      3523名  
綾瀬市   614名
海老名市   281名
座間市   387名
相模原市   131名
藤沢市    93名

(提訴時住所による・98'11/1状況)


厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)との関連

 厚木基地爆音防止期成同盟(通称:爆同)は、被害住民が肩をよせて爆音の無い当たり前の生活、静かな空を取り戻すためつくった組織で、1960(昭和35)年に「厚木基地爆音防止危険地域有償疎開期成同盟」として結成。その後現在の「厚木基地爆音防止期成同盟」と改称し、大和市・綾瀬市・海老名市・座間市・相模原市・藤沢市・町田市の7市にまたがり、今では会員3000世帯の住民運動団体です。 これまで私達は正面から基地強化に反対し、エンジンテスト音・飛行活動の規制・遊休施設の返還、防音工事の実現など実績もあげてきました。さらに国を相手取って一次、二次、三次に渡る裁判を起こし、原告も支援者も一体となって取り組んできました。 一次爆音訴訟で獲得した「爆音は違法で、国に侵害行為がある」とした確定判決の重みを、第三次訴訟では爆同会員だけでなくもっと地域住民に広げることで、国と米軍に違法行為を断ち切らせる強大な力になると確信しています。